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飯田橋って?
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  • 飯田橋の歴史(縄文時代〜 )
  • 飯田橋の歴史(明治後期〜 )
飯田橋の歴史(縄文時代〜)
日清・日露戦争の戦いにはさまれて 1897年(明治30年)
空地の後には、多くの学校が開校しました。
飯田町駅を始発駅にして八王子迄の甲武鉄道(明治27年)が開通しています。
町には大八車が走り、川には船が行き交います。牧場(北辰社牧場)もあります。
急坂の九段坂では、大八車を押す押屋がいました。
明治18年博愛社病院として移って来た日本赤十字社は、明治45年まで飯田町にありました。
明治39年には、飯田町に市電が開通します。
戦争中の飯田橋 1943年(昭和18年)
ほとんどの男性は兵士となり、小学生は集団疎開で田舎へ行き、学生は、軍需工場へ働きに行き、残ったのは、婦人と老人、そしてわずかな男性ばかりでした。その人たちは、防空訓練や竹槍訓練をしました。
時々、出征兵士を送る「バンザイ」の声が聞こえ、戦死した兵士のお骨を首にかけて帰る人達の姿も見られました。
焼ける飯田橋 1945年(昭和20年)
飯田町が焼けたのは、昭和20年の大空襲の時です。
3月10日は富士見小学校あたり、4月10日は飯田橋駅あたり、5月25日には九段方面から町の中央にかけて焼けました。
飯田町の人達は、バケツリレ−や小さなポンプで消火活動をして、飯田町の約半分を火災から守りました。
8月15日、この長い悲しい戦争は終わりました。
昭和の飯田橋 1976年(昭和51年)
飯田町という名前も、昭和41年10月1日に飯田橋に変りました。
都電も、昭和43年9月29日に無くなりました。
昭和51年1月には、飯田橋の町に住んでいる人は、2741人です。
風呂屋も1軒しか残っていません。その風呂屋もこの後しばらくして無くなります。
飯田橋にはバッチやカップを作る会社がたくさんあります。その会社の創始者は、明治時代からあった帝国徽章商会で働いていた人達です。
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